リンの闘病



1999年の春から、少し水を多く飲むようになりました。
ネコ飼いは、9年と長かったですが...「吐く」「下す」以外に問題もなく過ごしていた
私はあまりに無知でした。
元気だし食欲もあるし..少し気にしただけでした。

7月に子ネコを3匹保護。
まだ赤ちゃんだった2匹の授乳に負われる日々になりました。
ペット可のマンションの購入手続きにもバタバタしていました。

そんな中、リンの食欲が落ちて来たのですが...好物の刺身はガツガツ食べたので、
「ついにリンも好き嫌いしだしたか〜〜〜」と思っていました。

8月になって激痩せ。
慌てて獣医に連れて行ったら「口内炎が酷いですね。痛くて食べられないのでは」
と言われ、ホッとしました。
でも、念の為にした血液検査で腎不全が発覚。
機械で測れる数値を超えていました。
医師からは「余命1ヶ月」との宣告が...
獣医の待合室の椅子に座って、泣きました。
私がもっと早く気付いてやってれば.....

それから、週に3回の点滴と処方食の生活が始まりました。
「静脈に直接点滴を入れて、それで数値を一気に下げよう」との事で一旦入院。
でも、静脈に針が射せなかったとの事で、また皮下点滴する事になりました。
そうこうする内に、1ヶ月半が経ちました。
10月最初の土曜の夜に容体が急変...いつもの獣医は午前だけの診療なので、
違う獣医に駆けつけました。
そして、そこで現在の我家の主治医S医師と出会ったのです。

界隈では有名な獣医で、他所で駄目と言われてここに来る患者さんが多いとか。
その日から、この獣医に通う事にしました。
365日開いているので、重病の患者には助かりますし..何より設備も違います。
1日おきに点滴、口の中も洗浄殺菌してもらい、リンは一時持ち直してくれました。

11月21日のペット可マンションへの引越しに「連れて行けますか?」と聞いたら「難し
いかも..」と言われましたが、リンは頑張りました。
当日と翌日は、大事をとって入院させてもらいました。
ネコが、まだ7匹居たので大変でしたが、妹夫婦にも手伝ってもらい何とか無事に引越
しを終え、少し片付けてからリンを迎えに行きました。

何も入っていない押入れの下段に、ダンボールの大きな箱を入れて毛布を敷き、リンの
ベッドも作りました。
でも、まだ機嫌良く上段の布団の上に乗ったり、私の敷いた布団の上で寝たり...
もっと頑張ってくれるかも...と思いました。
そんなある日、布団がグショグショに濡れていました。
匂いを嗅ぐと、点滴の匂いが...
あまりに点滴をし過ぎて、皮膚が壊死してしまって穴が開いたのです。
位置を小まめに変えて点滴する事になりました。
食事はk/dの強制給餌...この子は口に入れると結構食べてくれました。
それでも、どんどん痩せていきましたが、自分で水も飲み、粗相する事もなくトイレにもち
ゃんと行ってました。

次の心配は、2000年の正月を一緒に迎える事ができるか...でした。
獣医師は、今度は「無理でしょう」と言いました。
それでも、リンは頑張りました。
一緒に新居で皆とお正月を迎える事が出来たのです。
1月4日には、妹と下の甥っ子が来ました。
もう本当に最期かもしれないので、それぞれがリンを抱いて写真を撮りました。
5日から出勤...容体がかなり悪くなっていたので、毎朝獣医に連れて行って点滴をして
から遅刻して会社に行きました。
会社の人も私が大切にしてるネコの事だから、特に何も言いませんでした。

8日の金曜の夜、ゴハンを食べさせたら、トイレに行って吐いてしまいました。
水を飲んで...ヨタヨタと壁にもたれる様に押入れ下段のベッドに戻って行きました。
具合が悪くなってから、ここに入る様になってたんです。
それが、リンの最後の自力の歩行になりました。

ベッドの毛布の下にはカイロを沢山入れ、私の服を布団代わりに掛けてやりました。
口からは血がしたたり..時々苦しそうに声を出しています。
それでも「リンくん」と声を掛けると尻尾を振って答えてくれました。
押入れの端っこにもたれて、ビールを飲みながら...ずっとリンを見ていました。
朝、妹が来て「少し寝たら、私が見てるから」と言ってくれたので少し寝ました。
1時間程で起き、それから二人でずっと側に付いていました。

リンは時々苦しそうに声を上げて布団からずり上がって来ました。
もうその頃には、尻尾を動かす事も出来ない様になっていました。
こんなに苦しんでも頑張ってるリンに「心臓が強いんやね..リンは」と余計に可哀想に
なりました。
夜になって...母が食事を差し入れてくれました。
その頃から、リンの容体はますます悪くなって行きました。
何度も大きな声を上げて、見ているのが辛いくらい苦しんだのです。
そして、何度目かの時...ガハッガハッと息を何度も吐き..息が出来ないと思った私は
ティッシュで口の中の血を出来るだけ拭いとりました。
でも、大きくガハッと数回息を吐き出して..リンは息を引取りました。

シ..ンとなった部屋で、妹と二人で泣きました。
他のネコ達は、異様な空気が判るのか...子ネコ達ですら大人しくしていました。
2000年 1月 9日 土曜日 午後 9時30分  リンくん死去。

翌日、花と刺身を買いに行き、動物霊園に連絡して夕方来てもらいました。
妹と二人、一緒に迎えの車に乗って霊園に行き、お葬式。
ちゃんとお坊さんが葬儀をして下さいました。
そこは分院で、火葬は本院まで行かないと駄目で、その日はもう終わっていた為、リンの
顔を何度も見て頬擦りし、お願いして帰宅。
納骨はせず全て返骨してもらう事にし、週末には小さな姿になってリンが帰って来ました。

リンくんごめんね...私がもっと早く気付いてあげてたら...もっともっと生きられたかも知
れないのに...でも、本当によく頑張ったね。
お疲れ様.....もう苦しくないよね。
もっともっと可愛がってやれば良かった...もっともっと早く保護してあげれば良かった...
もっともっと.....と、後悔ばかり残ってしまいました。
好きな刺身ももっとやれば良かった...いちいち怒ったりしなければ良かった...

でも、リンと暮らした3年...プーとパンとリンと...すごく幸せな時間だったと思います。
物静かで、他のネコとも全然問題なく、誰とでも共存出来たリン。
とっても良い子でした。
一歩歩いては「ンガ〜〜」と雄叫びを上げてた可愛いリン。
今では笑って思い出を話せる様になりましたが...やっぱり思い出すと辛いです。

リンくん、どうぞ安らかに。
そして、また生まれ変わったら..絶対に私の元に来てね。


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