1990年の初夏、当時勤めていた会社で、お昼ご飯を買いに出た私は、帰り道にふと、いつもと違うルートを歩いたんです。 そして、病院(勿論人間の)の周りの歩道に小さな子猫が横たわっているのを見つけました。 近寄って見てみると、身体は傷だらけで、その傷にはウジがわきハエがたかっています。 子猫の死体でした。 あんまり可哀相で、しばらく側に座って見てました。 そしたら...気のせいか子猫の耳が動いたようです。 「?」風もなく、快晴の昼時です。 しつこく見ていると、また... たまらず、指で小さな頭を撫ぜてみました。 「ナ〜〜」かよわいけれど、確かに子猫が泣いたんです。 後は夢中でした。 子猫を拾い上げ、会社に戻ると電話帳で近くの獣医を探し、、自動車通勤していたので車に乗ってすぐ、駆けつけました。 クレゾールの液に突っ込まれて、子猫は死にそうな悲鳴を上げていました。 身体の中も外もウジだらけ...体温はノミも付かない程に下がっていて、「たぶん無理でしょうね」と言われました。 それでもとりあえず、そのまま入院。 その後2週間、点滴と治療を続け、私は毎日見舞いに行きました。 飼うつもりはありませんでした。 当時、ヒナから育てた愛しいセキセイインコのビーちゃんが居たからです。 結婚していた時に飼えなかったので、離婚してすぐに飼い始めた子でした。 この手で餌をやり、言葉も教えて大切に育てて来た子でした。 でもちょうど、初夏にあった会社の慰安旅行が香港で...ビーちゃんは実家に預けていたんです。 実家では、以前10年もインコを飼っていたので、両親はビーちゃんをものすごく可愛がってくれていました。 子猫が元気になった時...私は決断しました。 ビーちゃんは、このまま両親に飼ってもらおう。 つらいけど...ビーちゃんには幸せかもしれません。 そして、子猫を連れ帰りました。 この写真は、生還して連れ帰った最初の日のスナップです。 ちっこいのに、一緒前に吹いていました。 生後約2ヶ月、私とプーの共同生活が、スタートしました。 |